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新兵の受難

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薄暗い地下室の中、いくら掃除をしてもよどんだ空気は拭えない。
半日居続けても違和感を感じなくなるぐらいには慣れたはずだったその空間が、今日はまるで自分を排除しようとしているかのに執拗に身体中にまとわりつく。
「ーーークソッ!」
それを振り払うようにエレンは誰にともなしに悪態をつきお世辞にも柔らかいとは言えないベッドの上で寝返りをうった。
昼間の女型の巨人との格闘のせいかはたまたいつも以上に長く巨人化していたからだろうか、床についてしばらくたってもエレンに眠りが訪れる気配はなかった。
高ぶった感情と、おき火のようにくすぶる衝動がただでさえささくれだっていた神経をまるで挑発するかのように逆撫でていく。
「…こいつの…せいか?」
つぶやいて右手の親指の付け根を見つめる。
実際は光などない暗闇で目の前にかざしたものは見えないが、そこにはあるはずの傷などどこにもないのだろうことがエレンにはわかった。
理不尽。
それが体現するのは現実世界か人間か意思あるすべての物なのか、はたまた意思のないとおぼしきものにも当てはまったりすることがあるのかもしれない。
でも今、エレンの口から地下牢の壁にむなしく反響する独白は理不尽な世界そのものへ向けられる以外の何者でもなかった。
「……どうして?…どうして俺が?………この力はもっと選ばれたような、然るべきところになきゃいけないのに…」
湿気の多い地下牢、鍵をかけていないのが唯一の慰めとでも言うように重たい扉からは一筋の光も漏れては来ない。
その部屋の隅に人ではない何かがいて横たわるエレンの体と心をカビのような黒いもので多い尽くそうとしているかの様だった。
それに誘われるままに口を開く。
「…殺してやる……、…壊してやる、…跡形もなくなるくらい粉々に…」
殺戮への、破壊への衝動が押さえきれない。
今はその時ではないと頭では解っているのになおもエレンの唇はそれ自体が別の生き物かのように言葉を紡ぎ続ける。
「…巨人も…、…この世界の仕組みも…、…何もかも!…全部。…ーーっ!!」
衝動のまま目の前から口元に動かしかけていた右手を自傷行為を避けるように左手でベットへ押さえつけた。
(ダメだ。…今じゃない、…今はダメだ、…耐えなきゃ。耐えろ…)
歯を食い縛り全身に震えるほどの力を込めてやり過ごす。
どのくらいたっただろうか。
おそるおそるからだの力を抜いたときは全身に染み出した汗が不快感を呼び、かつ筋肉が固着しているかのように軋みをあげていた。
激しい衝動の後特有のむず痒い倦怠感に包まれながらエレンは口渇感を自覚する。
(…喉が、…水……飲まなきゃ………)
ぎこちなく起こす体に付きまとってくるようなほどの粘度を感じさせる布団から無理矢理上体を引き剥がし、エレンはこの部屋で唯一外界と繋がる扉まで移動する。
途中2度ほど足を滑らせかけた。
ギィ…と古い木片を擦り会わせるような音がして、普段はミーティングに使っている部屋までなんとかたどり着いたものの、入り口の段差につまづいていつもならあり得ないほど無様に転倒する。
(………昨日のミカサとの体術訓練でも転がされたけどここまで無様じゃなかった気がする…)
全身に力が入らない。
冷たい床に頬を寄せ、地下よりはいくぶんスッキリとした空気を肺がきしむほど吸い込むと自身がひどく疲れていることを自覚する。
めざす水場はあと部屋1つ分なのに体を起こすことができない。
(…冷たくて、きもちいい…あと少しだけ…)
相変わらず睡魔が訪れることはなかったが、冷たい床に体を預けると先程の汗が冷えて凍えるほどの冷たさに変わる。
自身の中の燻りかけていた衝動ごとこの体も何もかも明日の朝には冷たくなってしまえばいいのにと、どこかなげやりな気持ちで目を閉じと。
指一本動かそうにも全身が鉛になったかのように重い。
「………なんだ?…クソガキ。死んでんのか?」
どのぐらい時間がたったのだろう。耳に馴染みのある声が誰もいないはずの食堂に響いた。
「……リヴァイ、兵長…」
直属の上司のものであるその声に反射的に口を開き目を開ける。
だが相変わらず四肢に力は入らない。
「おい、そこはお前の寝床じゃねえぞ」
「…………」
もはや口を開けるのも億劫だった。
(………黙ってたら、どっか行ってくれないかなぁ)
うっすら開けた視界に彼のブーツの爪先がうつる。
それで勢いよく蹴りあげられる自分をいとも簡単に想像できたが、それでもそのままこの美しい人の手にかかって息を止められてしまいたい気分だった。
純然な片想いだし伝える気など微塵もないが、愛する人の手にかかってこのくそみたいな世界から隔絶されるのは自分のような化け物には過ぎた願いなのかもしれない。
だがリヴァイはエレンの意に反して方膝をつくとその端正な顔をエレンのそれに近づけて男にしては細い指でエレンの頬を撫で上げた。
「…ひでー顔色だな。動けないのか?」
その指が目尻に触れた瞬間にエレンの背中を鈍い痺れが駆け抜ける。
「…へ…いちょっ」
泣きたいのか笑いたいのか喚きたいのかよくわからない感情が渦巻くままに彼を呼ぶ。
「あぁ、エレン。無理にしゃべらなくていい」
うつ伏せの体を優しい手つきでひっくり返されたと自覚したとたん襲ってきた紛れもない浮遊感にエレンは体をこわばらせる。
「動くなよ。落ちるぞ」
そのまま必死の思いで上がってきた階段をエレンを横抱きにか変えたままリヴァイは危なげなく降りていく。
これが自分の見ている都合のいい夢なのか、はたまたあり得ないほどの現実なのか理解できないままエレンは力なくリヴァイの胸元に顔を埋めたまま目を閉じた。
ほどなくゆっくりと下ろされたのは
まごうことなき地下室の石造りの床の上。
(床……、やっぱり兵長は幻だったんだ…)
うつ伏せが仰向けに変わっただけで同じ場所にいる。
なぜだか涙がこぼれそうになった。
エレンはなんとか起き上がろうと、もう一度手に力を込める。
「………っ…うっ…」
まるで言うことを聞かない腕に無理矢理力を込めると鈍い痛みが全身の骨を駆け抜けた。
だが想い人の幻覚を見ながら涙するようなことを自分に許すわけにはいかない。
自分にはそんな資格は本当にないのだ。
「…エレンよ。動くなといったはずだ」
そして覚えのある浮遊感。
「………え?本物?」
エレン先程の葛藤も忘れてリヴァイの胸元にペタペタと手を当てる。
「…どっかに俺の偽物でもいたのか?」
今度はすぐにどこかへ下ろされる。
そこは先ほど余りの虚しさに逃げ出してきた地下室のベットだった。
ただし、先程のような自分の汗の張り付くような不快感はなくシーツは代えられているのかサラリとした手触りを返してくる。
「…リヴァイ兵長」
エレンは数分前より意識が格段に鮮明になっていることに気づく。
「なんだ?」
「えっと…、いえ、ありがとう…ございます」
エレンの言葉をどう受け取ったのかフンと素知らぬ方を見てしまう。
「…で、何であんなとこで行きだおれてたんだ?」
「あ、水を…飲みたくて…」
「なるほどな、もういいだろう?」
「え…?」
リヴァイはそう呟くとエレンが止める間もなくスタスタと階段を上っていってしまう。
(……もう少し、話してたかったな)
リヴァイ班の仇ではないが、今日は女型の巨人を捕らえたのだ。
調査兵団にとって、いや二人にとって区切りとなる日だったはずだ。
作戦終了からミカサの側で目が覚めて、エルヴィン団長に報告にいくまでリヴァイと会うことはできなかった。
当然のように団長の隣の机で書類に目を通していたので部屋にもどってゆっくり休むようにとエルヴィンに言われるエレンにちらりと目線を送ってきたときも個人的な話をできるような状況ではなかった。
普段から親しいわけではない二人が特別になにか話すと言うことはなかったが、朝の点呼の時や廊下ですれ違うときにほんの一言、二言だけれどもエレンを気遣う言葉をかけてくれたり、リヴァイの私室に彼の好きな紅茶を持っていくとすぐに口をつけて少しだけ、ほんの少しだけ微笑んでくれることとか、たった一人で食堂の掃除を命じられて監視だからとエレンの掃除する傍らで一日書類を見ているときの二人だけの穏やかな時間の流れだとか。
エレンが彼を想ってやまないのは言葉やふれあいではなく、リヴァイのいる空間そのものだった。
(そばに、いてほしいですって言ったらきっと呆れられるな)
リヴァイは繊細な容貌をしているが決して女々しくはないし、むしろそういった発想を疎ましく思うタイプだ。
嫌われてはないとは思う。
だからこそ、踏み込むことは難しい。
(もし兵長に嫌われるならその場で殺してくれないかな?)
なんとか動くようになった手でエレンは目元を覆った。
まだ腹筋や足にはこわばりが残っていてうまく動かせない。
年若い少女のような思考にとらわれてしまう自分に嫌気がさす。
最後のプライドとして涙だけは気合いで押し込める。
(とりあえず、動けるようにならなきゃ)
先程の食堂で見た外はまだ真っ暗だった。
朝はまだ遠いはずだ。
リヴァイの来る点呼までに、なんとか起き上がれるようにならなければ。
もう一度起き上がろうと右腕に力を込めたとき地下であるこの部屋に続く木戸が開閉する音が聞こえた。
「……え?」
かつかつとブーツの音がする。
それは紛れもなく聞きなれた彼のリズムだ。
何はともあれ起きなくてはと上半身を無理矢理起こす。
多少背中の筋肉が軋んだが一度起き上がってしまえば痛みはじょじょに薄れていった。
「…起きて平気なのか?」
いつのまにかそばに来ていたらしいリヴァイの声に目線をあげるとカップと水差しのようなものを片手で持ったお盆にのせたリヴァイが立っている。
彼はそれを器用にベットのサイドボードに置き、エレンのいるベットの端にためらいなく腰かける。
上半身を起こしたエレンの顔をやや下から覗き込みながら先ほどと同じようにエレンのほほに指を滑らせた。
「…っ!へいちょっ…」
「顔色は、少し戻ったな」
リヴァイは別途に腰かけたまま器用に上半身をひねって自身が持ち込んだ水差しから洗い直したであろうかすかに水滴のついたコップに水をいれて先ほどからなにも言えなくなっているエレンに差し出す。
「…あ、ありがとうございます」
反射で受け取った水は手のひらの火照りを優しく冷ますような冷たさでエレンに喉の乾きを教えてくる。
思考が停止したままリヴァイとコップを二度ほど見比べてから口をつけると一息に飲み干した。
胸にたまっていたあの澱のようなものが中和されていくかのように薄れていく。
リヴァイはそれを満足そうに見つめ「ん」とエレンのもつコップにもう1杯分を継ぎ足した。
エレンは同じ言葉で受け取りもう一度飲み干した。
「…まだいるか?」
「いえ…、大丈夫です」
「そうか、だったらさっさと寝ろ」
リヴァイはエレンからコップを奪うと水差しとともにサイドボードに戻しエレンの肩を指先で押す。
「…はい」
エレンは素直にうなずきまだ若干の軋みを訴える体をベッドに横たえる。
同時に立ち上がろうとする気配を察してエレンは咄嗟にリヴァイのワイシャツの袖をつかむ。
「…なんだ?」
(怒った、かな?)
眉間にシワはよってるもののそれが不機嫌から来るものかどうか何となくわかるほどには一緒にいた。
(違う、困ってるんだ)
「………えっと…」
自分の予想が正しかったとしてこの先を口から出して殴られない保証はどこにもない。
この状態で殴られたら立ち直れそうになかった。
「何でもないなら帰るぞ」
何かあるなら言ってみろと諭されてる気がしてその勢いのまま言葉を舌にのへる。
勘違いだったら殴られるだけだ。
「もう少し、リヴァイ兵長と一緒に…いたい…で…す…」
だんだんとひそめられてゆく眉に自然と語尾が弱まる。
「…………」
リヴァイは黙ったままエレンの顔と握られた袖を交互に見ている。
(蹴られるかな。やっぱり言うんじゃなかった。)
瞬時に後悔が襲い来るだろう衝撃に身をすくませる。
だがエレンを包む布団よりかすかに暖かいその袖を放す気にはならなかった。
はぁ、とため息をつく音が聞こえたと思うとリヴァイが枕元に座り直す気配がする。
(え?嘘っ)
「兵長…、…いんですか?」
恐る恐る目を開けるといつもの顔に戻ったリヴァイがそこにいた。
「…少しだけな」
リヴァイはそう言うといまだに袖をつかんでいたエレンの手を外してその場に寝かせ、そっとエレンの前髪と額のあいだを撫でる。
親しい間柄の人達がするような仕草にエレンは嬉しさのあまり目を細める。
「…はい…」
返事はしたもののエレンは愛しい人の顔を最後まで見ているためにはどうすれば良いか考え始めた。